大判例

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名古屋高等裁判所 昭和39年(う)7号 判決 1964年5月11日

主文

被告人および検察官の本件控訴を棄却する。

理由

≪中略≫

(三) 原判決の事実の誤認および法令の解釈適用の誤があると主張する論旨について 論旨は、結局において、

「被告人は、三重県農林水産部耕地課長の地位にあつた。しかしながら、同県行政組織規程等によれば、耕地課長は、同県耕地事務所長に対して職務上の指揮命令権、人事権、予算権等の権限を全然有していない。それらの権限は、知事のもとにおいて農林水産部長が掌握しているのである。耕地事務所長と耕地課長とは、同僚であつて、いずれも農林水産部長直属の部下である。耕地課長たる被告人は、耕地事務所長に対して、原判示のような人事面、予算面その他の耕地事務所事務執行の面等において事実上耕地事務所長に対して影響を及ぼし得る地位に在つた者ではない。しかのみならず、被告人は、耕地事務所長に対して、原判示のように野知浩之のための選挙運動をしたことは全然ない。なお、仮に被告人が原判示のように耕地課長補佐稲森一雄に指示して各耕地事務所長に対しその各管内における野知浩之の得票見込数を確かめて報告されたい旨を申し向けしめしたとしても、被告人のその行為は選挙運動にあたらない。右のとおりであるから、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認および法令の解釈適用の誤がある」

というにある。

所論にかんがみ、まず被告人が三重県農林水産耕地課長をしていた昭和三十六年、七年当時における地方自治法、同県部制条例、同県行政機関設置条例、同県行政組織規程、同県庁中事務決裁規程等の諸法令にもとづき、同県の農林水産部長、同部耕地課長、同県耕地事務所長の各職務権限等の概要を調査しよう。

右の諸法令によれば、知事の権限に属する事務を分掌させるために、(イ)本庁内に農林水産部等の六部を置き、その各部にそれぞれ多くの課を置き、農林水産部には農政課、農林計画課、開発植課、耕地課等の八課を置き、(ロ)出先機関として耕地事務所等の多くの行政機関を設置している。そして右の農政課、農林計画課、開発拓植課および耕地課の分掌事務は、別紙第一表掲記のとおりである。耕地事務所は、別紙第二表掲記のとおり同県内九カ所に設置されており、その分掌事務については、同県行政機関設置条例第一一条は、「耕地に関する事務」と規定し、その細則として、同県行政組織規程第六八条第六九条は、別紙第三表および第四表掲記のとおり定めている。次に部長は、知事の命を受けて部の事務を掌理し部下職員を指揮監督する職務権限を有し、課長は、上司の命を受けて課の事務を掌理し部下職員を指揮監督する職務権限を有し、耕地事務所長は、上司の命を受けて所管事務を掌理し部下職員を指揮監督する職務権限を有している。しかるところ、知事は、右の同県庁中事務決裁規程により、知事の権限に属する事務のうちの大部分を各部長等に委任してその各専決事項とし、農林水産部の分掌事務についても、その大部分を同部長等に委任してその専決事項としている(所属職員の人事の内申、配布予算の令達等は、各部長の専決事項に属する)。

右の諸法令によれば、事務上は、耕地事務所は、本庁農林水産部内の農林計画課、開発拓植課および耕地課の三課、特に主として耕地課の事務の出先機関たる性格を有し、例えば右の三課、特に主として耕地課において立案計画し農林水産部長の決裁を経た事務を現地において現実に実施する機関たる性格を有している(別紙第一表および第四表参照)、耕地課は、耕地事務所の本庁におけるいわゆる主管課であるとみてよい。そして農林水産部長は、前記のように知事より多くの事務の委任を受けている関係上、耕地事務所長を指揮監督する職務権限を有し、その直接の上司にあたる。耕地事務所職員は、右部長の所属職員であるというべきである。そして耕地課長が、法令上当然には耕地事務所長を指揮監督する職務権限を有せず、その上司にあたらないことは、所論のとおりである。しかし、耕地課長がその所管事務につき法令上農林水産部長の補助機関であることは、疑がない。耕地課長が、所管事務につき、右部長より特別の命令を受けたような場合には、その命令の範囲内において耕地事務所長に対し指揮監督等をすることができることは、多言を要しない。そして課長は、所管事務につき、部長の補助機関として、みずから進んで常に調査、研究、立案等をして種々の意見を部長に上申することができると解すべきである。部長の命令、諮問等があつた場合に、これにもとづき調査、研究、立案等をして意見を答申しなければならないことはいうまでもないであろう。

そして叙上の説示と原判決引用の各証拠とを総合して考察すれば、三重県農林水産部耕地課長たる被告人は、法令上令上当然には同県各耕地事務所長を指揮督督する権限を有していなかつたけれども、法令上その権限を有する農林水産部長の補助機関として、同部長に対し、各耕地事務所各所管事務、人事、予算等につき、みずから進んで種々の意見を上申することができ、また同部長の命令、諮問等に応じて、それらにつき、種々意見を答申すべき義務を有し(人事、予算等につき、農政課長に対しても同様意見を陳述し得る立場にあつた。この点については、別紙第一表参照)、耕地事務所の所管事務、人事、予算等につき影響力を有する地位にあつたのであり、その地位を基盤として各耕地事務所長に対し選挙運動をするにおいては、これをきわめて効果的ならしめることのできる状態にあつたことを肯定することができる。しかるところ、後記認定の事実関係のもとにおいては、被告人は、右の耕地課長たる地位を基盤として各耕地事務所長に対し選挙運動をしたとみることができる。上記の次第であるから、被告人の本件選挙運動は、公職選挙法にいわゆる「公務員がその地位を利用して選挙運動をした」場合にあたると解するのが相当である。

次に原審および当審の取調べたすべての証拠を検討し、原判決引用の各証拠を総合すれば、優に原判示の全部の事実を認定することができる。すなわち、原判決引用の各証拠を総合すれば、

一、野知浩之は、長期間農林省に勤務し、仙台農地事務局長となつて、昭和三六年秋これを退職し、全国土地改良事業団体連合会の顧問となつたが、昭和三七年七年一日施行の参議院議員通常選挙に際しては、かねてから全国区より立候補することを決意していた(そして結局立候補して当選した)。同人は、早くから、右連合会の推せんにもとづき全国土地改良関係諸団体等の利益代表という趣旨で立候補するに至るべきことが予定されていたのであつた。そして従来このように土地改良関係者の立候補が予定されている場合または現実にその者が立候補した場合には、三重県においては、同県土地改良事業団体連合会が中心になつて右の者の選挙運動をし、県耕地課等において極力これに協力援助するという慣例になつていた。

一、叙上の耕地課長たる被告人は、従来の慣例に従い、かつ、「野知の三重県内における得票数が僅少であると、同県から農林省等に対して土地改良関係補助金等の下付その他の諸種の陳情をする際に都合が悪いので、同人の県内における得票数をできだけ増大させなければならない」と考え、公職選挙法上の違反行為となることを十分に熟知しながら、

(1)  昭和三七年二月八日頃三重県土地改良事業団体連合会会館において県内耕地事務所長会議が行なわれた際、その会議の終了直後、上野耕地事務所山田正次ほか七名位の耕地事務所長を同会館別室に招集して、同人等に対し、「野知浩之が立候補の際はよろしく頼む。三重県内における野知の得票数があまりに少いと具合が悪いから、管内の各土地改良団体その他の諸団体の理事者等に働きかけてもらいたい。三重県内では、一万票、少くとも七、八千票は取らねばならない」という趣旨等の発言をして野知のための投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、

(2)  同年三月二七日頃前記会館において右同様の会議が行なわれた際、その会議の終了直後、山田正次ほか六名位の耕地事務所長を同様前記会館別室に招集して、同人等に対し、「所長がポカンとしていては、七、八千票も取れんかも知れんぞ。所長が工事関係で行つたときとか、土地改良区の理事者達が耕地事務所に来たとき等には、所長から、野知さんの状勢はどうですか、などと尋ねて、情報を収集し、これを課長の方に報告されたい」などと申し向けて、より強力に積極的に野知のための投票取りまとめ等の選挙運動をするように督促し、

(3)  同年三月二七日頃から同年五月二三日頃までの間に再三にわたつて直属の部下である耕地課長補佐稲森一雄に指示して、同人をして、前記会館、三重県庁内耕地課事務室等において山田正次ほか八名の耕地事務所長に対し、「管内における野知の得票見込数を確かめて報告されたい」旨を申し向けしめ、よつて各耕地事務所長をして、再三にわたつて、それぞれその管内における野知の得票見込数を確かめて報告せしめ、

もつて野知を当選させるための立候補屈出前の選挙運動をし同時に公務員の地位を利用する選挙運動をした。

一、被告人が叙上のようにみずからまたは稲森一雄を介して各耕地事務所長に対し「管内の野地の得票見込数を確かめ、その情勢を報告されたい」旨の指示をしたのは、各耕地事務所長に対し「積極的に極力野知のための選挙運動をされたい」旨を指示した趣旨であり、各耕地事務所長をして強力な選挙運動をさせるための手段であつた。そのことは、被告人はもちろん、各耕地事務所長も暗黙のうちに十分に了知していた。立候補屈出前の選挙運動であり、しかも双方が公務員である関係上、真正面から、「積極的に極力選挙運動をされたい」と指示することを少々遠慮回避し、より柔軟な言葉を使用して、「得票見込数を確かめ、その情勢を報告されたい」と申し向けたにすぎないものである。

一、叙上の次第であつたから、右の山田正次のごときは、やむを得ず、同年三月六日頃から同年六月一三日頃までの間前後四九回にわたり上野耕地事務所管内各地において土地改良区役員その他の合計四九名の選挙人に対し、戸別訪問または個々面接をして右野知のための投票を依頼し極力選挙運動をした。その結果、右山田は、昭和三九年一月二〇日津地方裁判所において、公務員の地位による選挙運動、立候補屈出前の選挙運動、戸別訪問による選挙運動等の公職選挙法違反の罪により罰金二万円の有罪判決(いわゆる公民権停止期間の短縮等をしていない)を受け、その判決は確定した(この点については、検察官が当審において提出した山田正次の判決書参照)。

という事実を肯認することができる。

本件の諸証拠中叙上の説示に反する部分は、信用し難く、採用することができない。

被告人は、前記のように、みずからまたは稲森一雄を介して、各耕地事務所長に対し、「管内の野知の得票見込数を確かめ、その情勢を報告されたい」旨を指示し、よつて各耕地事務所長をして、再三にわたつて、それぞれの管内における野知の得票見込数を確かめて報告させる、という行為をしたのである。本件の事実関係においては、稲森の行為が被告人の指示にもとづくものであることは、各耕地事務所長において十分に熟知していたことが明白である。そして叙上のように特定の公職立候補予定者の得票数を増加させる目的をもつて数名の者をして右立候補予定者の得票見込数を調査させて報告させる行為は、それ自体選挙運動にあたると解してよい。しかのみならず、本件においては、前記認定のように、被告人の右行為は、被告が各耕地事務所長に対し「積極的に極力野知のための選挙運動をされたい」と指示した趣旨であり、各耕地事務所長をして強力な選挙運動をさせるための手段であつたのであり、そのことは、被告人はもちろん、各耕地事務所長も暗黙のうちに十分に了知していたのである。この点からみれば、なお更被告人の右行為が選挙運動にあたることは、疑がない。

原判決は、結局において、叙上の説示と同趣旨に出たものである。

これを要するに、原判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認または法令の解釈適用の誤はない。論旨はすべてまつたく理由がない。

上記のとおりであつて、被告人の本件控訴は理由がないので、刑訴法第三九六条により、これを棄却する。<以下省略>(裁判長裁判官影山正雄 裁判官吉田彰 村上悦雄)

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